はい、今日もここ九州の片田舎から無駄な話を垂れ流しますよ。私は今小学生と、保育園児を育てるワーママです。お友達はみんないろんなものを習っているよ。
何かを習いたい、習いたいと言う
うちの小学生の子どもが、友達の話をしてくれます。友達の話となると決まって出てくるのが習い事の話です。
子ども:「◯◯ちゃんは水泳行ってる。◯◯君たちは、サッカーしてる。それに◯◯ちゃんは、、、」
と友達が習っているものを話して、決まってこう言うのです。
子ども:「私はピアノしか習ってない。ピアノ1つだけ習うの嫌だ。水泳したい。」
それから数分経つとコロッと言う事が変わる。
子ども:「あ、やっぱり英会話習いたい。歌も良い。合唱は嫌よ。一人で歌うやつ習いたい。」
どうも友達と比べて自分の習い事が少ないのを気にしているようです。
他人は他人。でもざわっとする私の心
子どもから、「◯◯ちゃんは水泳してる。◯◯君達はサッカーやってる。」と聞くと私の心がざわっとします。
「私は水泳泳ぐの遅いもん!みんな私より早いのよ!」と聞かされてざわざわざわっとします。
私の頭には嫌な思いばかりが思い浮かびます。
「ああ、◯◯ちゃんは月謝の高いほうの水泳教室行ってるんだな、いいな、余裕があって」
「◯◯君と◯◯君はサッカーしてるのか。良いな、仲良く同じ習い事してて」
「みんな習い事たくさんして、どんどん先に行くのかな。うちの子どもが運動も、勉強も他の人子に負けたら嫌だな」と。
普段から「他人は他人。」と言い聞かせているのに、ママである私が人と比べていたのです。
いつも比べている私
思えば独身の頃、結婚して行く友達を見ては「あぁ、私はいつ結婚出来るのかなぁ」と比べてた。
結婚してからは先に赤ちゃんに恵まれた友達を見ては「あぁ、何か負けた気分」になった。
二人目を授かった、三人目を授かった、家を建てた、旦那が昇進した、友達からの幸せであろう話を聞くたびに何か素直に喜べず、自分が劣ってるような気持ちになりました。
自分と子どもに言い聞かせる
人の持ってる物、している事より少なかったり、違ってたりすると「私はこの人より下なんだ。何とかしなきゃ。」と思ってしまう。
思う事は無意味だし、そうやって奮起する事も無意味。わかりきっているのに、心が敏感に感知してしまいます。
心のセンサーはいつも敏感なので、センサーの動きは正直に受け止めつつ、改めてこう言い続けます。
他人は他人
人がやってるから、やりたいなんてそんな物は習い事じゃない。
習い事はブランド品じゃない。たくさん持ってれば価値があるってものじゃないのです。
本当にやりたい、楽しいって事があるなら全力で応援します。
子どもにも同じように「他人の事はどうでも良い。人と比べるんじゃなくて、自分がどうなのか、って事よ。」と語りかけます。
まだ小学生なので、よくわかってないみたい。でもずっとずっと語りかけたい。
今、その「やりたい」は本気?
やりたい、と言うものは出来る限りやらせてあげたい。でもまだ小学生。本人の「やりたい」って言うのが曖昧です。いちいち本気にしてたらこっちの身が持たないのも事実です。
さらには、今唯一やっているピアノも練習は適当だし、その習い事すら満足に出来ていない。
まぁ、まだ小学生だからね。
これから先の長い人生の中で、やりたい事を少しずつ見つけて行けば良いんじゃないかしら?
今はまだいっぱいご飯食べて、宿題を頑張ってやって、死ぬほど遊んでぐーぐー寝る。
やりたい事が見つかった時に、ぶっ飛んで行けるように準備期間で良いのではないか?小学生の娘よ。
まだ人生は始まったばかりで、世界はあなたの物です。ゆっくりやろうじゃないか!