ゴールデンカムイ・有坂閣下のモデルは実在の人物「有坂成章」。書籍「有坂銃」を読んだ感想と有坂成章のエピソード

arisaka

はい、今日もここ九州の過疎地から無駄なパケットを垂れ流しますよ。私は今、漫画「ゴールデンカムイ」にはまっているよ。ゴールデンカムイには、実在の人物がたくさん出ているんですよ。有坂閣下もその一人です。有坂閣下の事を書いた本、「有坂銃」を読んで、その中のエピソードを紹介するよ。

有坂閣下のモデルは実在の人物

ゴールデンカムイのストーリーに一花添える人物、有坂閣下をご存知ですか?私は有坂閣下が大好きです。鶴見中尉のところにたびたびやってきては、ぶっとんだ振舞いで私を楽しませてくれる人です。天才銃器開発者、と書かれていますが、これは本当の話です。

ゴールデンカムイで天才銃器開発者として描かれたこの有坂閣下は、実際も天才銃器開発者でした。

有坂閣下の事を書いた本、「有坂銃」

有坂閣下のモデルは、幕末から大正にかけて実在した人物、有坂成章という軍人さんです。小さな島国日本がロシアに買った日露戦争。その日露戦争の勝因は、有坂成開章の開発した三八式銃にあると言われています。三八式銃ってのは、ゴールデンカムイで皆が持ってる銃ですね。肩に担いでいるあれです。あれ。

書籍「有坂銃」は、有坂成章が銃を開発した時代はどうだったのか、銃器などはどう扱われていたのか、歴史的背景と銃器そのものの考証が行われています。

「有坂銃」を読んだ感想

有坂成章の人物に迫る本かと言われればそうじゃない

「有坂銃」は銃の解説や銃が開発されていった当時の歴史を書いているとても難しい話です。はっきり言って私には難しすぎる。どちらかというと銃の詳しい説明などが多いです。有坂成章の人物に迫る本かと言われるとそうではありません。有坂閣下のモデルとなった有坂成章の人間臭いエピソードを期待して読むと期待はずれです。

「有坂銃」で紹介されているの有坂閣下、有坂成章のエピソード

有坂成章は超エリート

兵学寮(学校)のトイレに校長の悪口

有坂成章は、山口県岩国藩出身で、17歳のとき陸軍兵学寮に進みました。陸軍兵学寮は、当時のテクノエリートを育てる学校で、有坂はそこで3年間に数学、物理、化学、などで好成績をおさめたそうです。で、兵学寮から、フランスへ留学出来る人を7人選ぶときに、成績優秀でありながら選考に漏れてしまった・・・。そのとき、兵学寮のトイレに「校長目なし」と書いて悔しさをぶちまけたそうです。めっちゃ頭良くってエリートだったのに、40歳まで留学経験がなかったらしい。

有坂成章は船に酔わない

有坂成章は、小銃製造所を設計・建設したフランス人のルボンの専属通訳だったらしい。東京湾要塞任務についた有坂は、連日小型の船で海に出て沿岸を回る仕事をしていたそうです。後年、いかに海が荒れても船に酔わない!と自慢していたそうです。

有坂成章は頑固者

主張して譲らない

砲兵の専門家が集まる会議で、二十七サンチ(当時フランス語読みで、センチをサンチと読んでいた。)加農を輸入するなら、備砲形式は隠顕式だ!と主張して譲らなかったらしい。

有坂成章は近眼

有坂成章は、かなりの本の虫だったようで、近眼だったようです。写真を撮る時こそ眼鏡をはずしていたようですが、小さい時からかなり目を悪くしていたそうです。確かに写真を見ても目がぼんやりしているような・・・・。

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※写真はウィキペディアより引用

有坂成章は没頭すると何も見えなくなる

設計に夢中になる

40歳にして初めて海外留学し、日本に帰ってくると、設計・設計・設計。自宅で7カ月間、髭を剃らずに設計に没頭したらしい。さらに出世も果たして、砲兵中佐になって出勤もしなくてよい特別待遇だったとか。今で言うところの在宅勤務ですね。

有坂成章は有言実行の人

ロシアとの戦争が日に日に迫って来る中、有坂成章は参謀会議で有言実行の人だとのエピソードが残っているようです。他の中佐らが「野砲も含めて外国製を早く輸入するべきだ!」と主張していたところ、有坂成章は、「自分が1年以内に山砲も設計完了してみせましょう!」と宣言したらしい。

兵士に頼まれて作った「有坂車」

当時の師団らは、大砲を運ぶときに馬に大砲をひかせていたらしい。その先導になる人は、馬の横で馬と一緒に歩いて大砲を運んでいたそうな。疲れますよね。せっかく馬がいるのに一緒に歩くなんて・・・。非効率です。そういう非効率さに気が付いたのか、ある日、軍のほうから、郵便の馬車のように先導役の兵が乗れるように出来ないか、と頼んだところ有坂成章は快く快諾したようです。有坂成章は、言われた通りに軍に設計して導入してやったらしい。

そうして出来上がった先導役の兵が乗れる荷台付きの車は、移動には良かったものの、ぬかるみには弱く、人間一人分余計に重たいことから、実践に向かないということで、すぐに前線から消えていったらしい。でも兵隊から、「有坂車」と愛称で呼ばれて親しまれていたそうです。

有坂成章の声は甲高い

有坂成章は、陸軍省内で「旅順に二十八珊榴弾砲を持って行くと主張した」そうです。その説明をする際、「有坂君が例の甲高い声で・・・」と回想していたそうです。その回想から、有坂成章は甲高い声をしていたと思われます。また、「有坂銃」の著者の方が、有坂成章のご子孫の方とお会いしたときも、その回想が当てはまるように感じて嬉しかった、と書いています。

ふふふ、有坂成章も、ご子孫の方も甲高い声でお話していたのでしょう。ゴールデンカムイで大きな声を出しているとき、とても甲高いのでしょうね。想像するとかわいらしいです。

天才・有坂成章は63歳で亡くなる

有坂成章は、1915年(大正4年1月)63歳で家族に見守られながら息を引き取ったそうです。幕末から大正にかけて、一気に駆け抜けたんだろうなぁ、と・・・・。

有坂成章の幼少時代

有坂成章は、山口県生まれ

有坂成章は、1852年岩国藩(今の山口県)の火薬をつかさどる木部左門の次男として生まれました。11歳の時に、有坂家に養子に行きます。このとき養子に行ったところの有坂家がかなりの砲術家だったようです。中国・九州各地の砲術家を訪ね歩き、研究を重ねたそうです。

初陣は鳥羽・伏見の戦い

1868年、戊辰戦争の初戦といわれる鳥羽口・伏見の戦いが、有坂成章の初陣だったようです。このとき有坂成章少年は、15歳です。彼は当然討幕側です。ここで大活躍したかと言われるとどうもそうではないようです。15歳の少年が、最前線にたったという記録もなく、後方に置かれたのではないか、と「有坂銃」の中で著者は推測しています。また、本人が後年に手柄話を人に語った様子もなっかったようです。

初陣では村田銃を開発した薩摩の村田経芳がいた

鳥羽・伏見の戦いで、奇妙な出会いがあったようです。薩摩藩から参戦していた村田経芳がいたようです。村田銃といえば、ゴールデンカムイで二瓶鉄造が使っている銃です。銃一つとっても歴史的にも本当に人が結びついていて、さらにゴールデンカムイの中でも繋がりあっていることが感慨深いです。

まとめ・実在の人物の事を読んでゴールデンカムイを楽しもう!

「有坂銃」を読むと、有坂閣下のモデル(というか実在の人物)がよくわかって、ますますゴールデンカムイが楽しめます。皆さんもぜひ一度手に取ってみてはどうでしょう。

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